lost me in the...

夢庵ゆめの文章

第1回やさしい歌会の記録

2019年4月13日(土)  新宿 某カフェにて

メンバー……大学のともだち、そのともだちのお知り合い3人、夢庵ゆめ(計5名)

ルール……持ち時間は1人15分。LINEグループに短歌を1人2首送り、その場で鑑賞。15分の間に他のメンバーが感想や評などを述べる。最後に、それぞれの2首のうちどちらが好きか票を入れて終わり。

 

   司会を拝命したのですが、おなかがすきすぎていてめちゃめちゃ普通にごはんを頼みました。

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美味しかったです。(司会は?)

 

   お友達以外は初めて会う人々で、歌会を初めてやるよ!という方もいらっしゃいました。

   そんな感じで第1回やさしい歌会(勝手に名付けました)、スタート。

   他のメンバーさんの歌は非公表なので割愛し、夢庵の歌だけ載せます。

 

 

♱ 1首目

   咲かずともさくらはさくら  思い出せないのフォークの突き刺し方を   (1票)

 

 〇評や感想

    後半部分が不思議。桜の木の色と桜の白っぽい花の色がチョコレートケーキを思わせる。

   どこから食べればいいのかな、と迷っている様子なのか? 桜味のスイーツを食べている情景にも思える。

   「咲かないさくら」と「フォークを突き刺せない」の符号を見る歌か。

   「さくら」が平仮名なのは何故か? 

 

〇解説

   歌意については省略。みなさんの解釈に任せたいと思います。「さくら」が平仮名なのは、後半部分との字数のバランス。漢字一文字の「桜」だと目立たないし、「サクラ」だと品種名っぽくなってしまうという理由もある。

 

 

 

♱ 2首目

   2秒前  しゅうまい君のツイートのいいねが増える  うん、ひとりじゃない  (3票)

 

 〇票や感想

  わざわざ「うん、ひとりじゃない」と言っていることから作品主体はひとりで居て、ド深夜の3時くらいにTwitterのタイムラインを見ている景が浮かんだ。

  作品主体はその「しゅうまい君のツイート」にいいねを押した? 他の人が押すいいねの増え方に生命を感じる瞬間。

   誰でも見たことのある光景で、思い浮かびやすい。「2秒前」がいい。臨場感がある。

 

〇解説

   歌意はだいたいみなさんの感想で出たとおり。知り合いでも芸能人でもなく「しゅうまい君」にしたのは、botだから深夜でも関係なく呟いてくれる存在だから。人じゃないものに孤独を和らげてもらえる瞬間の歌。字数を合わせるのにちょっと苦労した。

 

 

✎ 全体の感想

   作歌側の意図と読み手の解釈のズレが面白いなと改めて感じました。まさか「さくら」の歌でケーキのイメージが出てくると思わなかったし。あとはやっぱり、韻律をそろえた歌(5・7・5・7・7)と破調(5・7・5・7・7のリズムから外れたもの)になるべくしてなった歌のおもしろさ。前までは破調で作りがちだったけど、そろえようとしてそれでもこの単語じゃなきゃダメだ!と破調になるほうが面白い歌になると思った。

   他の方の歌が本当に良くてマジで紹介したいのですが、載せられなくて残念! みなさんが詠んできてくれた歌をどこかに公表してくれますように……。そしてこれからも短歌を詠んでくれますように。

 

   またやりたいな、やさしい歌会。

   短歌に興味がある方は夢庵にお知らせくださいね! 歌に何かを閉じ込めることで救われる感覚とか知ってほしいなぁ。

 

 

5度目の卒業

 

   卒業式で泣いたことが1度もない。

 

   小学校は好きじゃなかった。友達も3人くらいしかいなくて、せいせいすると思った。

   中学校は一貫校だったから、もちろんなんの感慨もなかった。

   高校も、好きな友達と仲良くできればそれでいいと思ったし、いつでも会えるから悲しくなかった。

   大学も同じ。好きな友達には会えばいい。それだけ。

 

   今年。

   わたしは2年続けた高校の先生をやめた。

 

 

   職員室が苦手だった。

   保護者との電話を切ったあとに悪口を言う人がいたりするのがとてもストレスだった。だからよくトイレに引きこもっていた。

 

   オーバーワークだった。

   学年、分掌、教科、部活。最低でも4つの部署をかけ持ちするみたいな状況。周りは「これくらいこなして当たり前」と言うし「もっと頑張れないの?」と言うけど、非効率な仕事の多さとそれによる授業へのしわ寄せが苦痛だった。

 

   プライベートの自分と仕事の自分が、あまりにもかけ離れていた。

   ファッションやメイクが好きで、ピアスも好きで、メタルコアが好きなわたしは、簡単に言うと職場で浮いた。からかわれた。同僚や先輩が「自由でいいね」と言うその顔の裏に、侮蔑があるのが見えてしまっていた。

 

   生徒が可愛くて、授業が楽しいことだけが救いだった。慕ってくれる生徒も多くて、質問にもたくさん来てくれた。担任でもないわたしに進路相談をしに来る子、小論文を見てほしいと言う子もいた。みんなみんな可愛くて、愛しくて、失敗すらも赦したかった。

   校則がとても厳しいのが見ていてつらくて、それも辞める理由のひとつだったかもしれない。

 

   マイナスポイントのほうが多い生活だったから、送別会の日に職員の前で話しても、泣くこととかないんだろうな、と思っていた。

   でも。

 

「ずっとずっと国語が好きで、だから先生になりたいと思っていました。だけど、国語よりも、気付いたら生徒のほうが大好きになっていました。」

 

   何気なく、ぽろっと、最後だしなって思って言ったあいさつの言葉だった。そしたらぽろっと泣いた。びっくりした。

   言葉にしてから気づいた。

 

  わたし、先生辞めたくなかったな。

 

   学校の性質は合わなかった。

   だけど、生徒のことは本当に大好きだった。

   みんなに伝えたことはない。

   離任式もなく、辞めることを生徒に言ってはいけないという暗黙のルールがあったからだ。

 

   わたしは、先生をやめる。

   いま探している職も教育からは離れたもの。

   職場ではもったいないと言われた。 

   せっかく2年のキャリアがあるのにって。

   うるせぇよ。って思った。

   本当に辞めたいわけないじゃん。

   教職の世界に絶望したからだよ。

 

   先生は使っちゃいけない言葉が多すぎる。校則なんて守んなくていいよとか、学校来たくなかったら休んじゃおうとか、宿題とか成績に縛られなくていいよとか、言えない。

   わたしはそれを言いたかった。

   伝えたかった。

   君の選択でしか世界はつくれないこと、必要以上に既存のものに縛られる必要がないこと、してしまった失敗や過ちそれすら君の人生の一部で、傷すら美しく抱えて生きていけること。

   それは、人生を何度も間違えたわたしが教職に就けたことで証明できるはずだった。

   でもできなかった。

   過去の失敗は生徒に言えない。

   「先生」は未だに「聖職」だから。

 

  「先生」は「聖職」

  そんな腐った認識を世間からなくし、今の教育現場をいちどぶち壊すために、わたしは先生を卒業します。

   絶対忘れない。

  何もできなかったもどかしさや、好きでも続けられない苦しさを。

 

  大好きなあの子たちに届くために、

  わたしは、今日も。

 

 

新社会人になったみなさんへ

 

   新元号も発表され、世の中が新しい気風で満ちるなか、やっぱり「洗礼」にも似た些細な抑圧や理不尽に傷つく人がいるのを見て、この記事を書きます。

 

   毎日スーツいやだな。

   オフィスカジュアルって何着たらいいの?

   仕事メイクって難しい……

   研修って言いつつ何も教えてくれない!

   同期と仲良くなれる気がしない……

   仕事の種類が多すぎて不安。

 

   こんな声をTwitterで見かけます。

   そして、それに対して「嫌だったらNOと言えばいい」「やりたくないことはやらなくていい」「逃げることも選択肢」と言う、既に社会人の人たちもいます。

   そうだね。NOって言っていいし、やりたくない理不尽なことはやらなくていいし、逃げてもいい。ぼくもそう思います。

 

   でもね。

 

   「ネットの社会人が言ってたから!」

 

    それだけを免罪符にしないでほしいな、とも思います。

 

   誰かが言っていたことに従って発した「NO」は、本当に君の「NO」でしょうか?

   つらいことは「つらい」って言っていい、嫌なことは「嫌だ」って言っていい、逃げたい時は逃げていい。

   でもそれは、君以外の「誰か」が言っていたことを理由にして行うことじゃない。

   思考停止の先で待っているのはきっと、後悔と「やっぱ社会人の言うことは当てにならない」という恨みです。逃げていいよ、とSNSで発信した人たちは、心から若者を心配してそう言ったはずなのに。

 

   誰のことも恨まないための方法は、自分で考え、判断し、行動することだと思います。

 

   「嫌だ」「つらい」を本能で汲み取って即実行するのはめちゃくちゃハイリスク。選択には責任が伴うし、それによってまた傷つくのは、最初に傷ついたときよりもきつい。

 

   嫌なものは嫌、とてもわかる。

   でもなんで嫌って思うんだろう? その理由を考えてみた結果相手のクソさが際立つときもあれば、見直すこともあるし、自分の価値観がわかることもあるよ。

 

   つらいことある。めちゃある。なんでこいつこんな理不尽なの?って怒りが止まらないこと、ある。

   そういうときは自分の論理を立ててみる、理不尽さの原因とか。自分で正せそうなら戦ってみてもいいね。でも不利な戦場なら撤退も戦略だと思う。

 

   逃げていいよ。

   でも逃げる前に、逃げる経路とか理由を考えないと逃げた先が断崖絶壁だったらヤバイ。逃亡先は決めないと生きてけない。

 

   どうか、考えられる人になってください。

   誰かの考えだけに踊らされず、その意味をきちんと考えられる人になってください。

   傷つくこともたくさんある、つらくて泣く夜もきっとある。だけど心に思考の牙を持てば、研いで、相手に噛み付く戦略と瞬間を作り出すこともできる。

   考えることは最大の武器です。

   それでも、そこが君の武器で太刀打ちできない場所なら、そのときは全力ダッシュで逃げてしまおう。

   君が逃げ込める場所を作れるようにぼくもがんばります。そんな社会を作るのがぼくらの役目でもあるのだから。

 

   社会人になった君が、自分の幸せを自分で考えて掴めますように。

 

 

これは理科ができない者の記事です

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卵が先か鶏が先か。

 

  これ永遠に考えるとイタチごっこになって答えが出ないことで有名だと思いますが、実際どうなんでしょうね。

  色々考えた結果、生物の進化の過程的なやつで最初に微生物みたいなのがいて、そこから植物とか動物になったと思うんです。たぶん。知らんけど。

  でも、鶏、いや、鶏になる以前の何らかの鳥(長いので「何鳥」と略しましょう)になる前の更に微生物状態(?)のやつが、卵を産んでたらどうしようということになって。どうしようって誰目線だろ、何も困ってない。まぁいい、続けます。

 

  それでね、思ったんですけど、卵というのは「分裂」の一種じゃないかと思ったんです。細胞分裂みたいな。

 

  いやだって、冷静に自分の体の中で子供を育てて産むってリスクが高すぎませんか。栄養めっちゃ必要だし。産むときの危険度高いし。母体が失われたら子供も失われるし。哺乳類すごいね。

  その点、卵を自分から分離してしまえばオスにも「胎児」の時点から協力してもらえるし、産むときのリスクは減るし、いいことずくめじゃね?  と。そのメリットを得るために、生殖機能の一部を外に分裂させたのが卵なんじゃないか。

 

  と、いうことは。卵の時点は母体の一部であり、どちらが先かというより母体≒卵ということになります。親鳥が何らかの原因で育てられなくなれば、卵は温められずに死んでいくのがその証拠。鳥は常には卵と一緒にいないけど、卵は親鳥がいないと成り立ちません。

  そう考えると、後先の問題にするのがそもそも論点としておかしいのですが、便宜的に「鶏が先」と言わざるを得ない。

 

   でもこう考えると怖いことが起こります。

   卵≒母体なら、生まれた鶏≒母体ということになり、鶏の同期無限スパイラルができます。そう、鶏は神の無意識集合のようにその思考を共有している可能性があります。だとすれば、その卵を日常的に食している我々人間も、鶏の無意識集合の一部として洗脳されていることも否定できません。

 

   そう、鶏こそ創造主であり、神なのです

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 何か神っぽいよね。白いし(?)。

 

   このことに気づいてしまった僕の寿命は、もうそう長くはないでしょう。いや、寿命なんて生ぬるい話ではなく、存在ごとこの世から消されてしまうかもしれません。この記事が僕の亡き後も残っていることを祈ります。ハチャメチャに怖いのでTKG(*卵かけご飯のこと)を食べて寝ます。

 

……何鳥とか、略す必要なかったな。