5度目の卒業
卒業式で泣いたことが1度もない。
小学校は好きじゃなかった。友達も3人くらいしかいなくて、せいせいすると思った。
中学校は一貫校だったから、もちろんなんの感慨もなかった。
高校も、好きな友達と仲良くできればそれでいいと思ったし、いつでも会えるから悲しくなかった。
大学も同じ。好きな友達には会えばいい。それだけ。
今年。
わたしは2年続けた高校の先生をやめた。
職員室が苦手だった。
保護者との電話を切ったあとに悪口を言う人がいたりするのがとてもストレスだった。だからよくトイレに引きこもっていた。
オーバーワークだった。
学年、分掌、教科、部活。最低でも4つの部署をかけ持ちするみたいな状況。周りは「これくらいこなして当たり前」と言うし「もっと頑張れないの?」と言うけど、非効率な仕事の多さとそれによる授業へのしわ寄せが苦痛だった。
プライベートの自分と仕事の自分が、あまりにもかけ離れていた。
ファッションやメイクが好きで、ピアスも好きで、メタルコアが好きなわたしは、簡単に言うと職場で浮いた。からかわれた。同僚や先輩が「自由でいいね」と言うその顔の裏に、侮蔑があるのが見えてしまっていた。
生徒が可愛くて、授業が楽しいことだけが救いだった。慕ってくれる生徒も多くて、質問にもたくさん来てくれた。担任でもないわたしに進路相談をしに来る子、小論文を見てほしいと言う子もいた。みんなみんな可愛くて、愛しくて、失敗すらも赦したかった。
校則がとても厳しいのが見ていてつらくて、それも辞める理由のひとつだったかもしれない。
マイナスポイントのほうが多い生活だったから、送別会の日に職員の前で話しても、泣くこととかないんだろうな、と思っていた。
でも。
「ずっとずっと国語が好きで、だから先生になりたいと思っていました。だけど、国語よりも、気付いたら生徒のほうが大好きになっていました。」
何気なく、ぽろっと、最後だしなって思って言ったあいさつの言葉だった。そしたらぽろっと泣いた。びっくりした。
言葉にしてから気づいた。
わたし、先生辞めたくなかったな。
学校の性質は合わなかった。
だけど、生徒のことは本当に大好きだった。
みんなに伝えたことはない。
離任式もなく、辞めることを生徒に言ってはいけないという暗黙のルールがあったからだ。
わたしは、先生をやめる。
いま探している職も教育からは離れたもの。
職場ではもったいないと言われた。
せっかく2年のキャリアがあるのにって。
うるせぇよ。って思った。
本当に辞めたいわけないじゃん。
教職の世界に絶望したからだよ。
先生は使っちゃいけない言葉が多すぎる。校則なんて守んなくていいよとか、学校来たくなかったら休んじゃおうとか、宿題とか成績に縛られなくていいよとか、言えない。
わたしはそれを言いたかった。
伝えたかった。
君の選択でしか世界はつくれないこと、必要以上に既存のものに縛られる必要がないこと、してしまった失敗や過ちそれすら君の人生の一部で、傷すら美しく抱えて生きていけること。
それは、人生を何度も間違えたわたしが教職に就けたことで証明できるはずだった。
でもできなかった。
過去の失敗は生徒に言えない。
「先生」は未だに「聖職」だから。
「先生」は「聖職」
そんな腐った認識を世間からなくし、今の教育現場をいちどぶち壊すために、わたしは先生を卒業します。
絶対忘れない。
何もできなかったもどかしさや、好きでも続けられない苦しさを。
大好きなあの子たちに届くために、
わたしは、今日も。